リリーは靴下、私はジーンズ

おとついくらいのニュースで歌手の氷川きよしさんが来年から無期限のお休みに入ると報じられました。私のguessですけど、SRS(性転向手術)ではないのかしら。歌手ですから喉にはメスを入れないでしょうけど、最近美しくされてましたからね。著名人がmtf(male to female=女になりたい男)するのは凄いあと押しになるので心から応援したい。さてブログは先週の続きです。

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私はスリムジーンズをもって試着室に向かいました。カーテンを閉めて、細いシルエットのジーンズに足を通した。ローライズのウエストにお尻を入れ、ボタンを留めた。ぴったりフィット。試着室の鏡に映る自分を見た。
 
女物が履けた……!

2021年の春先のある日のこと。過去三ヶ月続けた腹筋と背筋トレーニングで痩せたせいで、それまでの<男物ジーンズ>がだぶついた。そこで細身のジーンズを探しに古着店2ndストリートへ行った。ジーンズ売場には男物と女物が混在していた。私は股上の浅い女性っぽいジーンズを無意識に、しかし真っ先に選んだ。そして試着室で女物が履けた嬉しさに浸った。鏡に映った自分は両手を腰を当てて「どぉ?」というポーズ(笑)。元の男の私が鏡のなかのひとに言った。

似合っているよ…

過剰なまでの自己肯定(笑)。笑って読み飛ばしてください。この試着室体験のあとにネット視聴で観たトランスジェンダー映画『リリーのすべて』には、画家アイナーが女性物の靴下を履き、女性物の靴を履くことで、自分のなかにいる女性に気づくシーンがある。アイナー(リリーになる)はソックス、私はジーンズ、同じ足仲間ね、というわけでリリーの気持ちがよくわかった。

ファッションで自分の「別の性」に気づくパターンは王道でしょう。幼少の頃、多くの男の子が母の服を盗み着る。多くの女の子は男っぽくズボンを履く。十代になって第二次性徴期を迎え、男が男らしく、女が女らしくなるなかで反対性の誘惑に揺らされて元の性を拒絶し、中性的になる子も多い。中学や高校で性差のない制服が好まれだしたのはそのせいだし、服だけでなく変声やヒゲも拒否したい男子とか、育つ胸が憎くて取りたいと思う女子もいる。どれも否定しないけど、日本はこれから何年経ってもトランスジェンダーには厳しい社会であるのは間違いない。差別はやすやすとは消えません。そこでひとつ助言。

トランスジェンダーは手に職をつけなさい。

会社やお店で働くと差別される。IT業界が比較的解放的とはいえ、大手企業は無理。だから英語が上手なら通訳、手先が起用なら美容師、デザインが好きなら建築士やスタイリスト、味を作れる舌を持つならレストラン経営や料理研究家になれ。何でもいいから独立できる技をもちなさい。でなければ夜の仕事になります。

話をもどしますと、私も十代にバングルやペンダントをしたこともあった。二十歳の頃、肩の上から袖口にかけて網目の半そでシャツがお気に入りで、わき毛が飛び出ないように短く切った。こっそりアイライナーを引いたら、先輩に見咎められたので一度でやめた。それから灰色の男性会社員時代が長く続き、四十歳を過ぎてからトートバッグを持ち出した。財布やマフラーや傘など女物を好んだ。でもせいぜいそこまでだった。それが女物のジーンズの日はちがった。女物を履けた喜びはとてつもなく、シャツへ、ブラウスへ、ジャケットへ…と飛び火した。なぜなら女物を着ると大きな安心感に包まれたから。

「女性装」をする東京大学教授の安富歩さん(東洋文化研究所)は、著書『ありのままの私』で「女装」と「女性装」の違いを述べている。

やがて私は予想もしなかった、重大な事実に気づきました。それは私が女物を着ると、「ただならぬ安心感」を感じる、ということでした。世の中には、性的刺激を求めて女装するという趣味の方がいるそうです。こういう方は、女物を着ると、興奮するのでしょう。それに対して私にとっての女物は、精神を安定させる効果があります。(出典『ありのままの私』P42)

あーそれそれ!私にもズバリそれ!安富さんは「私は女装していません。しかし女性装しています。だって、女性だから。それが私には、自然だから」と書く(同書P60)。女性の服を着ると落ち着く、安らぐ。私もそれなのです。それに気づいたら、もうひとつ気づいた。

男性装ができなくなった…

男物の服をたくさん捨てた。ジーンズは廃棄し、Tシャツは雑巾になった。背広もワイシャツもコートも靴も処分した。仕事用には差し支え無さそうなジャケットやシャツを用意した。靴もプレーントゥをやめてカジュアルなクラークスにした。表立って抗わず、しかし諦めないという妥協点探り。

なぜ女になることがそんなにワクワクするのだろうか?

mtfとして女になるためには、ファッション、美肌、化粧、脱毛、痩身と顔筋トレーニング、そして仕草や話し方を学ぶ。医学的なメソッドであるホルモン補充療法や手術も含めて、ジェンダーとは「たかが装い、されど装い」とも言える。

きっといつか医学的にホルモンか染色体か、細胞か、リンパか血液か、何かしら「性を変えたくなる」生理学的証拠がつかめるときがくる。それがわからない今、心理的な分析に頼るしかない。そこでまず自分を探ろう。

私は「男がきらい」だ。不潔でつまらない。トランスジェンダーになって男が好きになるひとがいるが、それは私ではない。私は女が好き。綺麗で奥が深いから。女はなろうと思えばいくらでも美しくなれるから。現実にはもって生まれたものもあるし、加齢もあるけれど、その努力だって楽しい。私は女に1ミクロンでも2ミクロンでも近づきたい。そこで気づいたことー

どうやら私は「」が好き。

私が容姿に惹かれたmtfのトランスジェンダーたちを挙げよう。モデルで女優のハンター•シェーファーは攻撃的な美がある。男子校を卒業した椿姫彩菜さんは圧倒的に美人で可愛くて、ブロマイドが欲しい(笑)。構造生物学者のカリッサ•サンボンマツは知的ビューティ。知人に教えてもらったGYUTAE(ギュテ)さんはトランスジェンダーではなくトランスコスメ、驚愕の美人顔。映画『リリーのすべて』のモデルとなったリリー•エルベは、大正浪漫そのままのクラシカルな美人。彼らのようになりたいと思う私はふと、こう閃いた。

私にとってトランスジェンダーとは、美への道しるべなのではないか。

mtfでは、自分のなかの別の性がもたげて、ペニスや胸毛やヒゲが嫌いで嫌いでトランスします、というひとが多いという。だから性同一性障害という医学診断ができた。私にもそれもあるけれど、それよりは「美」の方に重きがあるようなのです。

別の性を装ってPassする(私の場合ならオンナと見られること)ことや、Readされない(オトコと見抜かれない)ことも大切である。週末の女装クラブや男装クラブで愉しむのではなく、別の性で生きて社会に溶け込みたいと思うなら、Passすることは大切である。でもその向こうにあるものは「美」なのだと思う。私のなかには本能的に「綺麗になりたい」という願いがあって、それがトランスジェンダーというものにハマったように思えます。

ではその「美」はどこから来たのだろうか?それは来週のブログで。

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