第二次性徴期の感覚

体のほてりというのか。この感覚をどう表現したらいいのだろう?何かがちがう。何かが変わった。落ち着きというか、胸騒ぎというか、新しい心棒が自分の中で立ち上がったような感覚…

エストロゲン(女性ホルモン)の初回注入後の感想。

そのキモチうまく言えないけれど(忌野清志郎風)、ひとつ思い出した小説のシーンがある。「ジャマイカの烈風」(リチャード•ヒューズ著)は19世紀の後半、ジャマイカから英国へ向かう客船が海賊船に襲われ、拉致された子供達が海賊船の中でさまざまな体験をする物語である。子供たちのなかでも年長で、たしか12歳か13歳くらいの女の子エミリーが「覚醒する」シーンがある。

そしてそのとき、エミリーに非常に重要な事件が起こった。彼女は突然自分がなにものであるかを悟った。(中略)すると突然、自分は自分だという考えが心にひらめいた。彼女はばったり立ち止まって、目のとどくかぎり、自分のからだを見まわしはじめた。
彼女は上衣の首のところを少しずらして、肩をだしてみた。そしてのぞきこんで、着物下にも彼女のからだがずっと続いているを確かめ、頬に触れるまで肩をすぼめてみた。顔と温かい肩のくぼみとがふれると、快いスリルを覚えた。あたかも仲の良い友達との抱擁のような感じであった。
「えりにえって、このあたしが、こんなふうにつかまっちゃうなんて、あきれた!ーーもう逃げだせないのよ」
(「ジャマイカの烈風」より)

それまでおままごとのようなことをしていたエミリーが、突然、いままでと違う感覚に襲われた。自分を見ている自分に気づいた。それを確かめるために、海賊船のマストに上ってひとりになって、自分の体のあちこちを調べた。大人になっていくエミリーを描いた名場面である。

それは第二次性徴期の感覚でもある。

体は否応なく、男の子は男っぽく、女の子は女っぽくなっていく。ほとんどの子はその性のまま大人になるけれど、なかには「ぽくなる」こと、「つかまる」のを拒絶する子がいる。その時は折り合いをつけても、どうしてもその性に我慢ができなくてトランスする人がいる。

第二次性徴期へ進むことは、ある人にとっては「別の性」になることであり、それを拒否するのがトランスジェンダーのひとつの型である。それは成長を拒絶することだろうか?それとも真の自分への成長なのだろうか?

このシーンを思い出したのは偶然ではなく、ホルモンという物質が支配する性がもつ力だろう。私はもちろん第二次性徴期などではないけど、この歳でもどう変化するのか、できるのか、その記録くらいはつけていきたい。

女性ホルモンの勉強中。しっかりと書かれている本です。

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